そうか、もう君はいないのか /城山三郎


2007年3月に亡くなった城山三郎氏が生前に書いた亡き妻「容子」さんとの物語。
城山氏が10代の時の偶然な出会いから、2000年の妻の死までを描く。
二人の出会いは、城山氏が学生時代の昭和26年の名古屋。夏休みで東京から帰省していた城山氏がその日にいった図書館が定休日でもないのに休みで、呆然としているときに容子さんもやってきた。

とまどって佇んでいると、オレンジ色がかかった明るい赤のワンピースの娘がやってきた。くすんだ図書館の建物には不似合いな華やかさで、間違って、天から妖精が落ちてきた感じ。

一目惚れとはこういうことなのだろう。
その日、二人は町へでかけ、アメリカ映画を見て喫茶店でお互いのアドレス等を交換した。
しかしまだ当時は戦後まもない日本。男女のこうした交際をよしとしない風潮も強く、容子さん側の父親の意向もあり二人の交際は断たれてしまった。
その後大学を卒業した城山氏が名古屋へ帰り、これまた偶然行ったダンスホールで、容子さんと再会する。

一種の奇跡であった。
妖精―彼女がいて、私の同年輩の男と踊っている。そして、私と眼と眼があったとき、笑顔で懐かしそうに会釈してくれた。

もちろん実話なのだが、こんな映画のワンシーンのような偶然の出会いがあるのだろうか。もっとも男女のきっかけとは得てしてこのようなものだと思うが。それにしてもロマンチックな再会である。
そしてほどなく二人は結婚。愛知県の県立大学で講師をしながら小説を書き、文芸春秋の新人賞を機に東京へ引っ越し。当時の公務員(県立大学の講師)が渡航禁止とされていた中国旅行の際に大学講師を辞し、作家活動い専念する。
城山夫妻は2人の子どもに恵まれ、作家としても成功。本書では夫妻のさまざまなエピソードがちりばめられている。
印象的だったのはオーロラについて。夏にオーロラを見にアラスカへ行ったが白夜であったので見られなかった。(冬なら確実に見られたとのことであるが)。
しかしその二、三年後、ヨーロッパへ行く際の飛行機で、スチュワーデスが窓からオーロラが見えると教えてくれた。

窓のシェードを開けた私は、慌てて容子を起こした。読書灯も消し、夫婦で顔をぶつけんばかりにして下を見た。

窓の外には、美しいオーロラが描く光の舞があった。

まるで私たち夫婦のためにのみ、天が演じてくれている。
私たちは手を握り合い、夫婦で旅してよかったと、あらためて胸を熱くした。

そしてストーリーは辛く悲しい、容子さんのガンとの闘病のシーンへ移る。専門病院での検査で病名を告げられ容子さんが帰宅。自分がガンであることを歌いながら。それを聞いた城山氏は何も言葉を発することができなかった。

かわりに腕をひろげ、その中に飛び込んできた容子を抱きしめた。
「大丈夫だ、大丈夫。おれがついている」
何が大丈夫か、わからぬままに「大丈夫」を連発し、腕の中の容子の背を叩いた。

手術はせず、抗癌剤も使わない闘病生活が始まった。もちろん死を覚悟してのことだ。もの凄い精神力と他人を寄せ付けない夫婦愛を感じる。しかし城山氏にできることはそばについていてあげること。

私は容子の手を握って、その時が少しでも遅れるようにと、ただただ祈るばかりであった。

そして迎えた容子さんの死。その現実を受け入れようとする城山氏。

ふと、容子に話かけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。

下手な感想を書いて本書を汚したくないから短い感想。
素晴らしい夫婦愛。感動した。

そうか、もう君はいないのか

そうか、もう君はいないのか