東京マラソン/遠藤雅彦


4/26号の週刊ダイヤモンドにも掲載(P13)されているが、皇居の周囲を走るランナーが急増しているとのこと。
そのきっかけは「東京マラソン」だ。
東京マラソンは2007年2月に初めて開催され、約3万人のランナーが走り、完走率は96.6%、目立ったトラブルもなと大成功をおさめた。
東京マラソン開催のきっかけは、あの小出義雄氏が石原都知事に会った際に、「マラソン大会を開いて市民ランナーに銀座通りを走らせてほしい」と言ったことだ。
いわゆる大都市で開催されている市民マラソン大会は、ベルリン、シカゴ、ロンドン、ボストン、ニューヨークのそれぞれのマラソン大会が世界的にもファイブメジャーズと呼ばれ有名だが、ここまでの規模のマラソン大会は日本には存在しなかった。
著者の遠藤氏は、東京都庁の職員として東京マラソン事務局の事務次長という立場で東京マラソン誕生、そして成功に向け活躍した。その中でもエピソードをまとめたのが本書だ。
結果として3万人が走り大成功をおさめた東京マラソンであるが、検討当初はそれだけのランナーが集まるか不安視されていた。しかし実際には約3倍の応募があり、第二回は5倍(応募者15万人)と世界的にも誇れる大会になっている。
事務局としてはそれだけ注目度の高い大会であるから、プレッシャーも相当なものだったのだろう。
何もかもが初めての試み。コースづくりにも頭を悩ませた。観光的にも「東京」をアピールする必要があったのだ。

ルールを満たし、交通規制の影響をなるべく軽くしたうえで、観光名所をめぐるコースにするというが事務局に与えられたコース設計上の課題でした。7時間も道路を封鎖するのですから、観光客誘致などでそれに見合う経済効果を上げることは求められるのは当然です。

かくして、東京都庁(西新宿)から皇居、芝公園、東京タワー、増上寺、銀座、浅草雷門、歌舞伎座を経由しゴールは臨海副都心ビッグサイトと江戸から東京への歴史を巡るようなコースが完成した。
また沿道を埋める観衆も特筆だ。約178万人。都民12百万人だから7人に1人が参加した数になる。トップクラスだけが走るマラソン大会は、沿道で応援してもランナーはその地点をあっと言う間に走り去る。
しかし東京マラソンは7時間の間にトップランナーから一般ランナーが走る大会だから、目の前のランナーが途切れることがない。かくして、沿道の観衆はスタートからゴールまで埋まり、7時間もの間、応援し続けることになった。これは副次的効果も生んだ。

出場したランナーは、スタートからフィニッシュまで、ずっと応援を受けて走ることになりました。そのため疲れて歩こうとしても、なかなか歩けません。歩き始めたランナーには沿道から声援が送られます。それに励まされて、歩かずに走りきったランナーも少なくなかったようです。

こうしてフィニッシュしたランナーは誰もがヒーローだ。完走者には特性のメダルが授与されたのだが、当然ランナーからは感謝された。

私もオフィシャルのコートを着て、大会役員のカードを下げて立っているだけで、「ありがとうございました」「お世話になりました」「来年もやってください」と声をかけられました。役人を長年やってきて、「税金泥棒」なんていわれたことは何回もありますが、あんなに大勢の人から「ありがとう」といわれたのは初めて。どぎまぎしてしまいました。

もっと自分の仕事に自信を持てぃ、公務員!と言いたいところだが、こうして大成功をおさめた東京マラソン。多くの苦労を忘れさせるほどの大成功だったのだろう。
なかでも気に入ったのは沿道の観客が途切れることなく応援していたというところ。私も東京マラソンを走ってみたくなった。そう思わせてくれた一冊だ。

東京マラソン (ベースボール・マガジン社新書)

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