シャネル−最強ブランドの秘密/山田登世子


シャネルの服は着たことがない。ハンドバックは持っているだけで、使うのは年に何回か。シャネルを研究材料としているからという愛知淑徳大学の教授である作者の山田登世子氏。
いわゆるブランドとしてのシャネルが好きなのではなく、好きなのはシャネルの「言葉」の数々であり、それらがシャネル研究のきっかけでもある。ついにはフランス語の伝記を自分で翻訳し出版するほどの情熱がある。
本書はそんなシャネルが発した言葉の数々をちりばめながら、シャネルの生き様やシャネルブランドの成長過程を著している。

19世紀から20世紀の頃のファッションといえば、レースから毛皮まで、高価な素材をふんだんに使った服、そしてそれらに過剰に装飾される宝飾の数々。
シャネルの革命はこれらの「否定」から始まった。
「女の体を自由にする」。

コルセットをはめられ、装飾に飾りたてられたて自由を奪われた衣装、それこそシャネルが一掃しようとしたものだ。機能的なジャージは彼女にとって「解放」の衣装であった。

シャネルのコンセプトは「自分自身の着たい」服なのだ。しかし当時ではまったく前例のなかったシャネルのスタイルが貴婦人たちの人気を呼び始めていったのだ。
さらには宝飾への挑戦。「アンチ・金ピカ」と著者は書いているが、シャネルにとって宝石の存在自体が嫌悪の対象だった。
シャネルの戦い方は凄い。あえて素材に貴金属を使わないイミテーション・ジュエリーをつくりだし、流行らせた。シャネルこそ現代の誰もが身につけている「アクセサリー」の創始者であるのだ。

「宝石で人の目をくらまそうだなんて執念は、胸がむかつく」シャネルは金ピカ・ファッションにたいする怒りをこめて、本物の宝石を無きものとした。わざと偽物をつけることで本物を愚弄したのである。

シャネルが目指したのは「実用主義」。

わたしは新しい社会のために働いた。それまでは、何もすることができなくて暇がある女たちや、メイドに靴下をはかせてもらうような女たちが服を仕立てさせていたわ。わたしの客になった女性たちは活動的だった。活動的な女には楽な服が必要なのよ。袖をまくれるようでなきゃ駄目。

シャネルは自らがそうであったように、自分で生活し、自分で生活をまかなう「はたらく女」のためのモードを創ったのである。

くだらない個人的な思い出話で恐縮だが、何年か前にカミさんとデパートへ行き、シャネルのショップのショーウインドウに30万円位のドレスがあった。「こんな服、一生かかっても着られないんだろうな」と呟いていたのを今でも鮮明に記憶している。
他の生活を犠牲にすれば可能なのであるが、残念ながらそこまでの余裕はない。
こんな話からもシャネル=高級ブランドというイメージがあったが、シャネルブランド誕生の精神は高級貴族への抵抗、挑戦であったということは、とても新鮮な驚きであった。
シャネルのコンセプトについて深く理解できる良書であると思う。

シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書)

シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書)

汗出せ、知恵出せ、もっと働け!/丹羽宇一郎


伊藤忠商事会長である丹羽宇一郎氏の講演をまとめた書。
丹羽氏は1998年に伊藤忠商事の社長に就任。当時はバブル崩壊後で大手商社も危機であったが丹羽氏は当時4,000億円の不良債権を一括処理し、翌年には史上最高益を計上するなど卓越した経営手腕は広く知られたところである。
そんな丹羽氏であるから講演の要請は多く、こうして一冊の本にまとまられるほどだ。
もちろん丹羽氏が考え行動していることは伊藤忠商事のことだけでなく、日本や世界のことを考えてのこと。
特に日本に対しては本書の題名でもある「汗出せ、知恵出せ、もっと働け」とあるように厳しい提言が多い。
丹羽氏の主張する背景は、日本は資源が無い国であり、これからも立国していくためには「人と技術」を資産として外貨を稼がなければならない、という強い危機感だ。

人間が地球上で生きていくなかで、どうしても欠かせないのが三つあります。人類生存の三大要素です。
一つは、食糧です。食べ物がなくなったら困ります。二つ目はエネルギーです。三つ目は水です。果たしてこの三つを日本はもっているでしょうか。じつは、この三つのうち、どれも日本にはないのです。

水がない、ということに疑問を持つかもしれないが、麦一キロを育てるのに二トン、牛肉一キロで二十トンの水が必要であり、そのほとんどを輸入に依存している日本は間接的に水を輸入しているのと同じことなのだ。
こうした生存に必要な三大要素を外国に依存せざるを得ない日本はどのようにして手にいれていくか。
やはり日本の強みでもある「人と技術」を一層強化するしかないと述べている。
そのためには教育にも一層力を入れる必要があるが、一方で教員の給料減らしなど逆方向の施策が行われているのが日本なのだ。
前にも後にも人材の育成、そして人材がもたらす技術の向上。まさにこれからの日本に必要な要素であると丹羽氏は再三にわたり強調している。

人材の養成をしなければ、日本は世界に負けます。技術にしても、国内に終始するのではなく、海外のそれをうまく使って発展させていくこともできます。強くならなければ日本の将来はない。

明治維新から約140年が過ぎた日本。まさに歴史の変換地点にいるような気がしている。維新で活躍した坂本龍馬のような人材(極端か?)が必要とされているのかもしれない。
教育というものに真剣に考えるきっかけとなる一冊である。

講演録ベストセレクション 汗出せ、知恵出せ、もっと働け!

講演録ベストセレクション 汗出せ、知恵出せ、もっと働け!

自転車三昧/高千穂 遥


著者の高千穂遥氏は、法政大学を卒業後、SF作家としてデビュー。数々の賞を受賞する等その分野で相応の地位を築いている。自転車関連では、2006年に前作でもある「自転車で痩せた人」を発表し、自転車の世界でも独特の考え方に基づき頭角を現している。
しかしながら、高千穂氏は痩せるために自転車に乗ったのではなく自転車に乗ったから痩せたのだ。本作でも著されているが、動脈硬化の疑いと持ったときもあり、自転車による健康への効果は計り知れないのである。
本書では、高千穂氏の好む自転車の乗り方について、ママチャリ、ポタリングロードバイク、ピストの順で書かれている。
印象的なのはママチャリへのこだわり。一般的にこのような自転車乗りの本はロードバイクとかクロスバイク、オフロードバイクといったものに乗っていて素人とはちょっと違うぞ、といったところがあるが、高千穂氏はロードバイクに乗るもののママチャリへのこだわりも強い。

ママチャリは、日本のいま現在の環境に対し、ほぼ完全に適応している自転車である。断言してしまおう。

ママチャリの長所は、頑丈、安い(スポーツ車に比べて)、荷物を運べる、メンテナンスコストが安い等があげられる。
ではなぜ日本の環境に適しているか。思い出してほしい。駅前やスーパーの駐輪場。自転車が所狭しと並べられ、時にはドミノのように横倒しになる。雨が降れば雨ざらし。どっかの不良に盗まれることもある。そんな環境で繊細なで高価(10万円超)のロードバイクを一般人は乗る気になるだろうか。
高千穂氏はこのようなママチャリで20km〜30kmを走るというのだ。当然途中は坂もあり厳しいことだろう。しかし高千穂氏は法令で定められている手信号を駆使しながらサイクリングを楽しんでいる。
散歩するように自転車に乗る事を「ポタリング」という。しかし高千穂氏は目的のないポタリングは行っていない。グルメであったり季節の花であったり楽しい目的を定めることがポタリングを長く続けるコツという。このポタリングでは小径の折り畳み自転車を駆使している。
そしてロードバイク。これは「自転車に乗るため」につくられた自転車であり、ママチャリのように荷物を運べたりできないのは当然だ。軽さを追求するためにスタンドもないので駐輪できない。値段も高く、盗難にあう確率も高い。では魅力は何か。それはスピード。かなり出る。しかも簡単に。
そんなロードバイクだが高千穂氏は乗り続けるための大切なことがあるという。

ただ走ることしかできないロードバイクで、どう走るのかを考える。それが、思想だ。なんとなく、のんべんだらりと走っていたら、ロードに乗りつづけることはできない。結局飽きて、さっさと降りてしまう。

思想は目標とは違う。目標は達成すれば終わりだが思想は終わらない。思想で走り続ける限り、目標を達成して燃え尽きるといったことがない。
この考え方は自分にとって新鮮だ。何かを初めても長続きしない。一定レベルになると興味が無くなってしまう。まさに目標はあるが思想がなかった典型だろう。いいヒントをもらった気がする。
さて高千穂氏は多摩川沿いのサイクリングロードや大垂水峠を走ったりする。そして更にはピストまでも手にしている。
ピストとは競輪選手が乗る自転車でブレーキがないのが特徴。したがって法令上公道は走れない。
もっと凄いのは自宅に専用のローラー台を設置した。TVで競輪選手がロールの上を走っているシーンを見かけるが、まさにそれだ。
これでの鍛錬の結果、手放しでのれるようになるほど走行が安定したとのこと。しかし音がとてもうるさく一般家庭に入れるのは敷居がたかそうだが。
こうして本格的な競技場のバンクも走ることもある高千穂氏だが、自転車競技も欠かさず見るほどの自転車三昧の生活を送っている。
なぜか休日には自転車に乗ってみたくなる。そう思わせてくれる本だ。メタボに悩む人にもお薦めの一冊だ。

自転車三昧 (生活人新書)

自転車三昧 (生活人新書)

ラジオな日々/藤井青銅


今やラジオだけでなくテレビでも活躍している藤井青銅氏による、ラジオの放送作家デビューから一定の成功をおさめるまでを著している。
時は80年代。70年代がラジオとフォークソングを中心とした音楽が一体であったが、80年代はアイドルやアニメだった。
まさに時代の潮流にのって藤井氏はサクセスストーリーを駆け抜ける。
デビューはニッポン放送で制作されていた「夜のドラマハウス」。
毎週一つのヒット曲がテーマとなり、その曲をタイトルにしたドラマ番組だ。
多くの駆け出し放送作家が競って原稿を書き、局のプロデゥーサーが選抜する。いわば毎週がオーディションみたなものだ。
藤井氏は何回かのチャレンジを経て、ようやく採用。

1979年(昭和54年)5月29日火曜日オンエアーに「ビューティフルネーム」というテーマのドラマで、ぼくはようやく放送作家デビューすることになった。

デビューまでの試練を乗り越えると、いつからか毎週コンスタントに採用されることになる。
そしてようやくつかんだメジャー番組のチャンス。
解散したばかりのキャンディーズ伊藤蘭が出演する月〜金の10分番組。タイトルは「伊藤蘭・通り過ぎる夜に」
なぜ解散したとはいえトップクラスの芸能人に新人放送作家だったのか。

「いかに元トップアイドルでも、女優・伊藤蘭としては新人。なので、これまでの芸能界に染まっていない新人作家と一緒に番組をつくっていきたいと向こうが言うんだ」

運も実力のうちというのだろう。当時の伊藤蘭のネームバリューからすれば藤井氏にとって大きく飛躍するチャンスだったことだろう。
更に山口百恵の引退に合わせ彗星の如く登場したアイドルの番組も受け持つことになる。しかも複数でなく(伊藤蘭のは2人だった)単独で。

「アイドルは誰ですか?」
と聞くと、宮本(ニッポン放送ディレクター)は去年デビューした新人の名前を言った。
松田聖子

番組名「松田聖子・夢で遭えたら」。もちろんラジオドラマのコーナーもある。
1回30分の番組。松田聖子の成長もあり藤井氏のサクセスストーリーは一層飛躍する。
ニッポン放送得意のアニメシリーズ。映画の公開と合わせ声優を登場させるラジオドラマや、監督等をスタジオへ呼んでのトーク番組。これもアニメブームの波にのり好聴取率をマーク。
藤井氏の地位は不動のものとなる。
しかしそんな時代はいつしかドラマハウスの終焉を象徴としラジオドラマのレギュラー化は無くなった。
団塊ジュニアの少し上の世代は試験勉強の際にラジオの深夜放送に世話になった人が多いのではないか。たとえ試験前でなくでもお気に入りのDJが登場する日は遅くまで起きて聞いていたものであろう。
私などは、3時からやっていた歌うヘッドライト走れ歌謡曲なんていうトラックドライバー向けの番組も楽しみに聞いていたものだ。
そんな楽しかったラジオの舞台裏の実態がわかりとても楽しい本である。所々に登場するDJやアイドルの名前がとても懐かしい。青春時代をラジオとともに過ごした方におすすめの一冊だ。

ラジオな日々

ラジオな日々

ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学 /岡嶋裕史

コンピューターやシステムに関する本は数多くあるが、本書はそのなかでもSEという職種にフォーカス。

現代社会においてSEと付き合わずにビジネスを構築することは難しい。SEは本来ビジネスパートナーであって、敵ではない。ないはずなのだが、ユーザー側の業務担当者にとっては限りなく敵に近い。

そんな不思議な存在のSEとの付き合い方を本書では解いていく。
システム開発の一般的な手順は、
要求定義→要件定義→設計→開発→検収(テスト)→運用であるが、どうも何事もそうかも知れないが上流の方が偉そうなのである。
実際開発をするプログラマの上に立つのがSEである。SEは顧客からの要求に従いシステムの設計図を書き、その通りプログラマにプログラムを書かせるのが仕事である。その指示は要件定義書に基づく。しかしその要件定義書がクセ者だという。

この要件定義書はとても文学的な言葉で綴られていることが多い。どうにでも意味が取れる文学的修辞など、モノを設計するプロセスに含めるのは言語道断なのだが、顧客、営業、上級技術者の鼎立による微妙微細な政治的駆け引きと妥協の産物として、玉虫色かつ抽象的・形而上学的な要求が突きつけられるときが多い。

そのとおり。その方が顧客も後で何かトラブルがあった際に、「要件定義書にこう書いているじゃないか」と責任回避がしやすい。そんなクセ者の顧客を相手にし、一方では大工のような職人気質のプログラマを相手にする。どうにもストレスのたまる仕事のようだ。
要件定義をする際に、顧客側で気をつけなければならないことは以下の2点。

・具体的に何をしたいのか提示すること
・提示した条件について社内で意思統一ができていること

書くのは簡単だが、これができていれば顧客もSEも苦労はしないということだろう。
さらには素人でもある顧客側の専門用語の理解。もっと突っ込めば、専門知識の理解等、対等にシステム会社側を話すことが難しい。
お互いの立場を理解しつつ歩み寄る姿勢が双方で大事なのではないか、とこれは私の経験であるが。往々にして外資系の会社は高飛車だ。
さて紆余曲折あった開発もいつかは終了を迎える。しかし最後の最後で油断してはならない。早く終わらせたいのはSEも同じ。仕事の手を抜きがちだ。顧客が飲みに行きたいと考えればSEも同じように考える。きちんとテストを行い、しっかり検収を執り行うことが肝要であるのは言うまでもない。

SEとは何か、システム開発とは何か、ツボのところをおさえておけば、ITに関わる知識をがりがり勉強しなくても、プロジェクトをうまくコントロールできるようになる。抱き合ってよろこぶことはなくても、殴り合うことなしにプロジェクトを完遂できるであろう。

今の世の中、IT無しには仕事も生活もできない。そんな中SEはもっと浮かばれるべき存在ではないかと思うが、本書はそんなSEとの上手な付き合い方を指南してくれる。
ジョークもふんだんに取り入れられ、とても読みやすく、仕事でSEと付き合いが少しでもある人にお勧めの本である。

ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学 (光文社新書)

ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学 (光文社新書)

「1日30秒」でできる新しい自分の作り方/田中ウルヴェ京


1988年のソウルオリンピックでの印象は、日本関係では鈴木大地の背泳での金が印象的であったが、その他では小谷実可子のシンクロが印象に残っていた。五輪全体ではド派手なジョイナーとか薬物で金メダル剥奪のベン・ジョンソンが印象に残っている。
本書のことをアマゾンか何かで見たとき、「田中ウルヴェ京」という名前や顔写真を見て全く気がつかなかったが、その小谷実可子とペアで出場していたのが、「田中ウルヴェ京」、当時の名前は「田中京(みやこ)」だったのだ。
小谷実可子はソロでも銅メダルを獲得したが、ペアでは田中ウルヴェ京と組んで銅メダルだったのだ。
ソウルでの銅メダル以後、個人的にはすっかりその存在を忘れていたが、本書の出版で思い出させてくれた。
さて前置きが長くなったが、本書は田中氏が現役引退後にアメリカで修得したコーピングという技術を使った自分自身を変える方法を示している。
実際にほとんどの人が本当の実力を発揮できていないとし、その原因は「感情をコントロールできていない」からだという。
感情をコントロールするコーピングの技術とは、
1.言葉を使ったコーピング
2.心理調整術を使ったコーピング
3.身体を使ったコーピング
と主に3つの手法がある。
外からの様々な刺激に対し、どう感じるか、どう行動するかは、それを受けた時の思考、つまり評価如何だという。それが感情や身体の反応に影響を与える。
この時、怖い、嫌われる、叱られる、傷つくといった「ゆがんだ評価」をしてしまうと、様々な刺激を否定的に捉えてしまい、行動が良い方向に行かない、という悪循環を繰り返す。
こうした「評価」をコーピングの技術で変えていくというのだ。
コーピングとは、COPINGと書き、COPE=対処するという動詞にINGがついたもの。

英語では、日常的に使われる言葉ですが、コーピングスキルをなると、ストレス対処スキルという意味になります。特に認知行動療法で実践として使われるスキルです。

コーピングはうつの治療、スポーツ選手や宇宙飛行士といった方面にも活用されている。
では具体的な事例を見てみよう。本書のタイトルにある「1日30秒」でできるスキルだ。
例えば自分を卑下してしまう人のためのセルフトーク
このような人たちは「どうせ自分なんて」と無意識につぶやいている人たちだ。
こういう人たちには、

「そもそも失敗や挫折や傷つきは、何か挑戦をしたときには必ず訪れるものだ!自分は挑戦したんだ!」

また心の調整テクニックとしては、他人をほめまくる方法。

実は人をほめることはなかなかできません。
私たちはどうしても他の人のアラを探すことは簡単なのですが、他人に対しても自分に対しても長所とか強みを見つけようとは考えていないのです。

だからほめ上手になるということは、視野を広げ、知らず知らずのうちに自分に自信がつく方法だという。
このように本書はちょっとした考え方を変えることにより、それをてこに大きく自分を変えるノウハウがたくさん書かれている。
なにか自分を変えるきっかけが欲しいと考えている人にお勧めの本だ。

「1日30秒」でできる 新しい自分の作り方

「1日30秒」でできる 新しい自分の作り方

ローカル線ガールズ/嶋田郁美


久々に心温まる本を読んだ。
「ローカル線ガールズ」、著者は嶋田郁美。

ローカル線とは福井県を走る「えちぜん鉄道」のことをここでは指す。

通称「えち鉄」。全長60kmに満たないローカル線で、路線は日本海側の三国港、山間部・勝山への2本のみ。ほとんどが一両編成という、典型的なローカル線だ。

著者の嶋田氏は、このえち鉄の現役「アテンダント」。

えちぜん鉄道の歴史を簡単に記すと次のような内容だ。

2000年、2001年と連続してえち鉄の全身である京福電鉄が、死傷者を出す事故を起こし、国土交通省等から事実上廃線とせざるを得ない厳しい処分が下された。

京福電鉄側はバスで代行をしていたが、鉄道の利便性を優ることはなく、近隣住民達からの鉄道復活気運が高まり、最終的には復活要望の署名も7万名も集まった。

その結果、地元勝山市が中心となり、第三セクターとして「えちぜん鉄道」通称「えち鉄」が誕生した。

このえち鉄誕生とともに導入された新しいサービスの一つが「アテンダント」である。

多くの赤字を抱えるローカル線は、運転手のみのワンマン運転が主流であるが、えち鉄は敢えてアテンダントの導入に踏み切った。
田舎鉄道の欠点を逆手にとり、「当社には、全国的にも珍しい女性アテンダントがいます。きめこまかやかなサービスをいたします」というアピールポイントに変えてしまおう、といことだ。

多くの人はローカル線のアテンダントと聞いて何をするのかピンとこないと思うが、著者をはじめとしてえち鉄のアテンダントは、とても素晴らしい活躍をしている。

ローカル線でならではの、きめこまやかなサービス。それは、切符の販売(無人駅が多い)、お年寄り等の乗降時のケア、観光案内、乗客への気配り、クレーム応対等々多岐にわたる。

最初はその存在が認知されず、「アンタは要らない」などと言われ傷ついたこともあったそうだが、アテンダント達はまさに改善により、多くのファンをつかんだのだ。

アテンダント同志のコミュニケーション不足を補う連絡ノート、情報交換ノートを用意し、お客様へのサービスに偏りが起きないようにすることや、沿線の観光情報等について、山とか勝山の名物等の項目ごとにチーム制で詳しく調べる活動をする等、とても健気な努力を積み重ねてきたのだ。

更には「常に「目配り・気配り」を心がけ、お客様のちょっとしたシグナルを見逃さないようにするといった、素晴らしいCSマインドを持っている。

本書は単なる読み物だけでなく、顧客サービスのあり方を知る良書でもある。

また本書にはアテンダントの写真も多く掲載されているが、彼女たちの笑顔が実にいい。
航空会社のスチュワーデスの造られた笑顔とはレベルが違う。心が温まる笑顔だ。
仕事で顧客と直接接する機会のある人にもお勧めだ。

かみさんの実家が北陸なので、今度帰省する時は、ぜひえち鉄に乗り、えち鉄ガールズに会いたいものだ。

ローカル線ガールズ

ローカル線ガールズ